[12] 「生きる」ということ(2)


(1)からの続き

あぁ、自分の子はこんなに
大きくまで育つことができないんだ、とか、
いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。
私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
もう悲しくて悲しくて、
生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。

そしたら歌が終わった後に、
髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが
「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」 
って言うんです。看護師さんが
 
「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
 
と尋ねました。するとその中の一人が
「凄く楽しかったぁ。
大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
 
その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
どんなに大切なことかを凄く強く感じました。

その帰りの電車の中で、ある生徒が
 
「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
私たちが合唱をしに行ったことは本当によかったんだろうか?」
と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
あまりにも涙を流していましたから。
その時に私は
 
「うん、よかったんだよ。
たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
でも、いま一所懸命生きている子たちの前で泣けないでしょ? 
それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」

と言ったんです。

[喜多徹人 (2011/02/24 Thu 23:39) ]