[10] 「生きる」ということ(3)


(2)からの続き

すると生徒が
 
「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」 
と言うから

「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。生きよう、って。
いや、生きるということは分からないかもしれないし、
もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
少しでも希望を持って生きようとしたということは、素晴らしいことだから」
と話して、お互いに感動しながら
学校に戻ったことがあるんです。

私は、生きているということは、
自分一人がここに存在して、ただ呼吸をしているのではなく、
いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
苦しみを分かち合ったりして、相手の心や周りにいる人たちの心を、
ちゃんと感じられることではないかと思うんです。
私が慰問演奏に行った時に、
「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
頑張って生きよう、という思いではなくて、
あの時、あの部屋の中で、それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

無邪気に喜んでいる子供や、
日頃泣けない家族の人たち……、
そういう、たくさんの思いが
満ち溢れている中に入ったから、
あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
神様から与えられたこの命を、
大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。

谷川俊太郎さんの詩に
 
「生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ 怒れるということ」

という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。

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歳を取ると涙もろくなっていけません。
この歌をステージで歌うときに涙を流さないように努めます。

[喜多徹人 (2011/02/23 Wed 23:14) ]